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藤六の海底地すべり跡
藤六の海底地すべり跡

札所19番龍石りゅうせき寺の角礫質砂岩かくれきしつさがんジオサイト 3

札所19番<ruby>龍石<rp>(</rp><rt>りゅうせき</rt><rp>)</rp></ruby>寺の<ruby>角礫質砂岩<rp>(</rp><rt>かくれきしつさがん</rt><rp>)</rp></ruby>

基本はコレ!

観音堂が建つ岩盤は、約1500万年前に上昇した外秩父山地(東に3km離れている)から流れ込んできた角礫質砂岩。
境内の岩には、ここがかつて荒川の河床だったころにつくられた「ポットホール」がある。
昔むかし、たいへんな干魃(かんばつ)があった年、弘法大師(空海)の祈りによって岩が割れて竜が現れ、大雨を降らせて村を飢饉から救ったとの伝説がある。
龍石寺お堂

 札所19番飛淵山龍石寺の境内に入ると、周囲よりやや高く露出した砂岩の上に観音堂が建っています。この岩はチャートの角礫を含んだ砂岩です。かつてこの一帯は古秩父湾と呼ばれる海でしたが、約1500万年前に外秩父山地が隆起し、そのとき崩れた大量の土砂が3km離れたこの場所まで流れ込んできました。その後、海中で新たな堆積物に覆われ、硬くなっていきました。

 数万年前、荒川が盆地の中を流れるようになると、周りの泥岩は荒川に削られましたが、硬い角礫質砂岩は削り残されて突出した高まりになりました。ここはかつての河床で、境内の岩には川の侵食によってつくられた小さなポットホール(甌穴:おうけつ)があり、激流が岩を洗っていたことがわかります。

 江戸時代後期に発行された『観音霊験記』には、たいへんな干魃の年、弘法大師の祈りによってこの地の盤石が割れて現れた竜が大雨を降らせ、飢饉から救ったとあります。民家の間の路地を東側に少し歩くと、水路を隔てて、公園に登る階段のついた斜面(段丘地形の段差の部分)に境内と同じ含礫砂岩が見えます。もとはひと続きであったこれらの岩が割れて、その割れ目にできた水路が激流となった様子を昔の人が竜に例えたのだとしたら面白いですね。ちなみにこの水路は、お堂の建つ岩盤が川原であった2~3万年前に荒川が流れていたところと考えられます。

 堂内には本尊のほか閻魔大王をはじめとする十王像など地獄を表すものが祀られています。境内には三途の川の川辺で死者の服をはぎとる奪衣婆(だつえば)の座像が祀られている「三途婆堂」もあり、「子育て婆さん」として、子どもの病気を治してくれるといわれています。

観音霊験記

ちょこっと豆知識 『 観音霊験記』ってなあに? 

 幕末の安政5年(1858)、午歳総開帳(うまどしそうかいちょう=札所本尊の総開帳)に合わせ、江戸で作成・販売された錦絵です。二代歌川広重・歌川国貞(三代豊国)の共作で、西国・秩父・坂東の三観音霊場(百観音)を題材に、江戸時代後期の観光の流行に合わせて、各地の札所の由来を観音の霊験とともに紹介し、同時に名所旧跡の景観が描かれています。
※国立国会図書館デジタルコレクションで『観音霊験記』を見ることができます。

アクセス
バス・・・西武鉄道「西武秩父駅」から西武観光バス「小鹿野車庫・栗尾ゆき」の「秩父橋」下車徒歩10分
電車・・・秩父鉄道「大野原駅」下車、徒歩15分
ナビ入力住所・・・埼玉県秩父市大畑町15-31
駐車場
あり(マイクロバス可)
リンク
秩父札所連合会WEBサイト
近くのサイト・拠点施設
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地図

G03_札所19番龍石寺

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