日本地質学発祥の地 ジオパーク秩父 〜地質と伝統と大地の恵み〜

ジオパーク秩父のみどころ

モデルコース、及び見どころ

秩父の各所に点在する、特徴的なジオサイトの見どころとモデルコースのご紹介。

ジオパーク秩父を楽しむ「羊山丘陵を歩くコース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●羊山丘陵を歩くコース

 このコースは、河成段丘地形を体感できます。羊山丘陵は、約13万年前の秩父盆地の平坦面(中位段丘)です。

 荒川が長い年月をかけて削った秩父の大地です。

 羊山公園には、武甲山となだらかな起伏に広がる芝桜の丘があり、春多くの皆さまが訪れます。

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「ちちぶの湧水を辿るコース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●ちちぶの湧水を辿るコース

 妙見七つ井戸という湧水を辿るコースです。妙見菩薩が秩父神社に合祀された際、宮地の妙見宮から秩父神社まで渡っていったとされる湧水です。段丘崖の湧水です。

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「長瀞・皆野 秩父路まるごと体感コース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●長瀞・皆野 秩父路まるごと体感コース

 こjのコースはまるごとジオ体感ができる魅力的なコースです。結晶片岩の岩畳や秩父赤壁を荒川対岸の自然のみちからご覧いただけます。

 親鼻橋たもとには、紅簾石片岩とポットホール、栗谷橋近くでは、蛇紋岩をご覧いただけます。

 皆野町から秩父市に入ると聖神社や内田家住宅などを見学でき、少し足を延ばすと札所4番金昌寺奥の院で、三波川帯と新生代新第三紀の不整合も確認できます。

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「横瀬の里山ハイキングコース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●横瀬の里山ハイキングコース

 このコースでは、三波川帯と秩父帯の山の違いを見分けられます。横瀬の谷は、地層の大きな境界です。北側の山は、変成岩のなだらかな山で南側はチャート等のかたい岩石からなる険しい山です。 

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「素朴な風土に培われた巡礼の道コース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●素朴な風土に培われた巡礼の道コース

 江戸巡礼古道の一部を歩きます。札所22番童子堂は荒川と小さな沢に囲まれた空堀が残る中世の永田城跡の近く、お堂の扉の彫刻が見事です。

 子ども顔の仁王様は、童子堂の名前にぴったりです。

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「秩父往還・荒川の里歩きコース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●秩父往還・荒川の里歩きコース

 秩父鉄道三峰口駅上流の白川橋は、盆地と山地の境。上流のV字谷と下流の開けたなだらかな地形とはっきりと違いがわかります。

 寺沢・日野地域には、「ふるさと砂防」と称し、巨石による護岸が施されています。これは、生き物に優しい環境をつくっているものです。周辺には、埼玉県内最大規模の桂や硫黄を含む冷泉「明ケ指のタマゴ水」も見られます。

 しだれ桜で有名な清雲寺を経て、浦山ダムから秩父市街地へと歩いていきます。

  ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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ジオパーク秩父を楽しむ「たっぷり小鹿野ロングコース」

 ジオ(地球)に親しみ、ジオを学ぶ旅、ジオツーリズムを楽しむ場所がジオパークです。

山や川をよく見て、その成り立ちとしくみに気づき、生態系や人間生活とのかかわりを考えましょう!

 ●たっぷり小鹿野ロングコース

 札所31番付近の「岩殿沢石」は、石臼や石仏など秩父の人々の暮らしに深くかかわってきた石材、四季の道展望台からは、山中地溝帯の地形やケスタ地形などが見渡せます。

 大正5年宮澤賢治が地質調査旅行の際、宿泊した旧寿旅館は、現在、小鹿野町観光交流館となり、賢治宿泊の記録も残っています。

 秩父市に入り、蒔田の谷を歩くと、南禅寺派の名刹「円福寺」が鎮座。秩父盆地の中では、太田と並ぶ米どころの暮らしぶりが探れます。

 ※コースマップを、そのままPDF化しています。

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一味(ジオ味)違った札所めぐりハイライトコース

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〇闇叛酳兩岩。

江戸からの巡礼者が最初に訪れるのが1番四萬部寺。観音堂の西側には新第三紀の泥岩層があり玉ねぎ状の風化構造が見られる。南の山道を登ると変成岩地帯に入り2番真福寺にいたる。駐車場わきの崖に黒色の結晶片岩が見られ、下り道の大棚川沿いには暗緑色の蛇紋岩が露出している。

 

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不整合・蛇紋岩。

4番金昌寺の奥の院では、上部に礫岩・下部に蛇紋岩が見られる。新第三系と三波川帯の「不整合」である。1319体といわれる石仏群は、盆地北西隅の31番観音院付近から大勢の人の手で運ばれた「功徳石」とも言われる凝灰質砂岩(岩殿沢石)で作られている。ここは盆地と山地の境界。

 

 

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13番慈眼寺わきに夜祭のクライマックスで屋台が引き上げられる団子坂(段丘崖)がある。寺の角の地蔵尊はかつて段丘崖の水の湧き出るところにあった。湧水は地蔵川となって町中を流れていた。段丘崖を北にたどると15番少林寺がある。寺への階段は段丘崖を登るもの。

 

 

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つ祕銘糞屐

19番龍石寺は段丘崖(新第三系が露出)の上てのに建つ。周囲は宅地なのにここだけ自然が残っている。秩父橋を渡った20番岩之上堂 の奥の院「乳水場」は小さな白い鍾乳石から滴る湧き水がその名の由来。観音様が船頭に姿を変え孝行息子を増水した荒川を渡してくれたという霊験は、荒川が暮らしの障壁であったことを語っている。

 

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23番音楽寺は低位・中位段丘を眺める絶景ポイント。道のわきや南西部の防災基地周辺では、荒川が運んだ礫や八ヶ岳・北アルプスから飛来した火山灰層(ローム層・約35万年前)を観察できる。

 

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石灰岩と鍾乳洞。

28番橋立堂裏の岩壁は武甲山石灰岩の西の隅。26番円融寺の奥の院岩井堂はチャートの上。石灰岩もチャートも太洋の彼方ででき、プレートにのってこの地にたどりついた「ジュラ紀の付加体」。鍾乳洞は珍しい竪穴で県内唯一の観光洞。

 

 

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盆地の新第三系最下部。

31番観音院の凝灰質砂岩(岩殿沢石)は当時(約1,700万年前)の火山活動を語る。牛首峠への沢では花崗岩の巨円礫(基底礫岩)がある。堆積したころは近くに花崗岩が露出していたことを示している。滝のわきに斜交葉理と磨崖仏があり、奥の院の「馬の足跡」はノジュール(団塊)の断面である。

 

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┘織侫ニ。

32番法性寺は高くそびえる砂岩の「お船岩」を背に建つ。観音堂裏の岩窟には蜂の巣状のたくさんの穴。岩の表面から水が蒸発すると塩類ができ、その部分がもろく崩れる風化現象「タフォニ」である。寺には、札所の順番が江戸からの巡礼者向けに変わったことを示す「長享2年秩父札所番付一覧」が保存されている。

 

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メランジュ。

34番水潜寺から札立峠へ登る沢に「ジュラ紀の付加体」である石灰岩とチャートがある。ここで泥岩と混じってできたもので「メランジュ(かき混ぜる)」と呼ばれる。巡礼者は、結願したら石灰岩の洞窟を潜って身を清め(みずくぐり)俗界へ帰る。

近くにチャートの赤い崖を流れ下る美しい「秩父華厳の滝」がある。

三波川結晶片岩をめぐるコース

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〇闇叛鄲咾諒兩岩。

「野上下郷石塔婆」は三波川帯の結晶片岩の薄くはがれる特徴(片理)を利用した日本一の板石塔婆です。高さ約5m厚さ13cm、応安2年(1369)に建てられたものですがしっかりしています。

 

裏山には板石塔婆の石材を採掘した跡が残っています

 

 

 

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樋口の小学校の校庭の山ぎわの変成岩に「水」の文字が刻まれています。江戸時代の寛保2年(1742)の洪水記録です。ここは秩父盆地に降った雨水のすべてが集まる盆地に降った雨水の唯一の出口です。ここまで水が上がったことを示す貴重な記録です。

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4膵毀(変形小構造)。

高砂橋下流のライン下り船着場左岸の岩に雁が連なって飛んでいく光景を連想させる模様が見られます。変成岩の割れ目に石英や方解石の白い鉱物が染み込んだものです。傾きによって左上がりのミ型、右上がりの杉型に分けられ、岩石にかかった力の方向を推定することができます。

 

に〜瓜(七草寺・藤袴)。

町指定の天然記念物である枝垂桜・アラカシ・ナツグミなどがある。アラカシの下には戦国時代の武将 藤田康邦の墓があり「法善寺殿天山繁公大禅定門」と刻まれている。

 

 

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リ曲(変形小構造)。

風布への道を登ると道路の対岸の沢のわきの石にみごとな褶曲が見られます。赤鉄鉱含有石英片岩(赤鉄片岩)で赤鉄鉱の赤色と石英の白の縞模様が創る横臥褶曲です。「菊水岩」と呼ばれており、長瀞町の天然記念物に指定されています。

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紅簾石片岩とポットホール。

親鼻橋の上流、荒川の右岸に橋のたもとの大きな岩体は、世界的でも珍しい貴重な紅簾石の露頭です。明治21年(1888年)小藤文次郎博士が世界で初めて記載し報告しました。紅簾石はマンガンを含む紫〜紅色の鉱物です。

 

岩の上には、人が隠れるくらいの大きなポットホールも見られます。岩のくぼみに取り込まれた硬い石が川の流れによって回転し削ったもので、長瀞地域にはあちこちにあります。丸くなった石が残っていることもありますが多くは失われてしまいます。

 

 


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荒川左岸に露出するこげ茶色と白の縞の褶曲が見られる石を虎の毛皮に似ていることから「虎岩」と呼んでいます。こげ茶色の鉱物はスティルプノメレンという鉱物です。白い鉱物は方解石です。大正5年(1916)宮沢賢治は「つくづくと 粋なもやうの博多帯 荒川ぎしの片岩のいろ」と詠みました。

 

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┫箴。

岩畳は三波川帯の結晶片岩で構成されています。約8000〜7000万年前、玄武岩質火山噴出物と泥や砂が、プレートによって地下深くにもぐり高い圧力のもとで変成を受けてできました。結晶片岩の特徴である一定方向にはがれやすい面(片理)と垂直方向の節理が、畳のような地形を創りました。

 

岩畳は、かつて荒川の川底で、その時できた「ポットホール」を見ることもできます。対岸の崖は「秩父赤壁」と呼ばれ、南北方向の断層にそって深く削られてできました。

宮沢賢治 青春の旅コース

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…稿圈〇闇叛鄲咾諒兩岩。

日本の地質百選に選ばれたジオスポット。三波川帯の変成岩類が露出し、岩畳や変形小構造が見られる。 

 

明治44年には鉄道が開通。多くの地質関係者が秩父を訪れた。盛岡高等農林学校(現 岩手大学農学部)の生徒であった宮沢賢治は、上長瀞の荒川左岸の「虎岩」を「つくづくと 粋なもやうの博多帯 荒川ぎしの片岩のいろ」と詠みました。

 

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金崎。

大正3年に大宮町(現 秩父市)まで鉄道が延びたが、賢治が訪れたころ、金崎にはそれまでの終点だった国神駅が残っていた。賢治一行は駅近くの「梅乃屋」(現在は営業していない)に泊まったと伝えられる。上流の栗谷瀬橋付近には蛇紋岩地帯があり、地盤が弱いため鉄道は先に進めず、上長瀞で線路は大きく迂回して荒川を渡った。

 

6〜7世紀に造られた古墳群(昭和51年3月30日 埼玉県指定史跡)があり、石室には結晶片岩の板石や割石が使われている。対岸には世界で初めて報告された紅簾石片岩の露頭がある。

   

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ようばけ・新第三紀の地層の大露頭。

日本の地質百選に選ばれたジオスポット。「太陽の当たる崖」という意味からこの名が付けられたという。秩父盆地の新第三紀の地層が見える巨大な崖である。下流の取方や小坂下では海底地すべりを語る地層の褶曲(スランピング)が見られる。

「おがの化石館」のわきには、宮沢賢治の「さわやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡の かへり道かな」と一学年下の保坂嘉内の「この山は 小鹿野の町も見えずして 太古の層に白百合の咲く」の歌碑がある。

 

 

 

ぞ鹿野町観光交流館(旧 寿旅館)。

平成23年1月 故田冓飮瓠兵旅館当主)の日記から「大正5年9月4日 盛岡高等農林学校生徒職員一行25人宿泊す。」「9月5日 生徒一行の石をも送る。」の記述が見つかった。

小鹿野町役場前に「山かひの 町の土蔵のうすうすと 夕もやに暮れ われら歌へり」歌碑がある。大正5年9月5日の小鹿野郵便局の消印のある、保坂嘉内宛ての葉書に書かれた9種の短歌の中の一首である。

賢治の泊まった宿は、小鹿野町観光交流館「宮沢賢治宿泊の宿」として平成23年の秋オープンした。郷土ギャラリーには、宮沢賢治関係の資料が展示されている。

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コ本沢・中生代白亜紀の地層。

「9月4日 三田川村皆本沢へ向かい・・・」(寿旅館当主の日記より)。

秩父盆地の西の端、小鹿野町三山小金沢の赤平川左岸に新第三紀の地層と山中地溝帯の地層の境(不整合)がある。皆本沢はその上流にあり、山中地溝帯の地層を横断するように刻まれ、白亜紀の地層を観察できる良い場所である。賢治一行は中生代白亜紀の地層を見学に行ったと考えられる。

賢治が訪れたころ(1916)まだこの地域の研究は始まったばかりで、大塚専一の研究(1887)をもとに原田豊吉が「山中地溝帯」の名称を提唱(1890)してまもないころである。

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三峰山・中生代ジュラ紀の付加体の地層。


「9月4日 明日は三峰山。」(寿旅館当主の日記より)。

小鹿野町より小森川ぞいをたどると荒川の谷にいたる。三峰口駅は昭和5年開業、賢治が訪れたころまだ鉄道はなかった。ここより上流は「秩父帯」である。切り立ったV字谷となり石灰岩やチャートが露出している。

かつて「秩父古生層」(原田豊吉。1888)と名づけられたが、現在は中生代ジュラ紀に付加された地層とされるようになった。狭い谷筋をたどり強石から大達原へ抜ける旧道に石灰岩の手掘りのトンネルがある。川沿いの県道(国道140号線)は大正10年開通なので、賢治一行はこのトンネルを通ったにちがいない。

三峯神社から妙法ヶ岳につらなる山稜より西の地域は白亜紀に付加された「四万十帯」の地層である。大洞川沿いには境界の断層がある。

 

 

 

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П匿后石灰洞。

「あはあはと 浮かびいでたる 朝の雲 われらが馬車の 行く手のやまに」。9月6日、三峯神社より馬車にて秩父市へ向かう。途中、影森の鍾乳洞に立ちよる。

鍾乳洞は武甲山の石灰岩の西の端にあたる。竪穴の鍾乳洞は珍しく、札所28番橋立堂の胎内くぐりのの場所として古くから多くの人が訪れている。

 

 

 

 

 

 

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野上駅。

駅前に「盆地にも 今日は別れの本野上 駅にひかれる たうきびの穂よ」の歌碑がある。

明治44年の開業時には「本野上駅」と呼ばれた。昭和44年に現在の「野上駅」と改名。9月7日ここをたって盛岡に向かった。

盆地と山地の境を歩く日野渓谷コース

 手軽にウォーキングできるコースです。

\間神社。

  駿河国浅間神社本社より、「弟富士」の称号が許されました。

 神楽は全部で18座、座外として「狐狩り」「蚕神」の2座があります。同系統の神楽と異なる点は、最初と最後に素面の神宮が舞う「奉幣」と、2月3日節分祭の時だけ行う拝殿での「神前神楽」が大きな特徴です。

 裏の山は、新第三紀の地層からできています。南にそびえる秩父帯の山々と異なり、なだらかな低い山容で比較的やわらかい砂岩や礫岩からできていることがわかります。

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 安谷川と寺沢川の合流地点に大きな淵があり、大岩の下には大蛇が住むと言われています。淵の上には水神様が祀られています。

 この地区では、大雨の時に発生する地滑りを蛇崩れと言い、又七夕の日に毛先が二つに割れた美女が岩の上に立つと言われています。

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十二天水。

 安谷川に下る途中に神の水「十二天水」の湧水があります。十二天様は坂の上の山中家の氏神様で山中家には十二天名を書いた森玄横斎の書いた掛軸があります。

 ※文化4(1807)年白久上サの山中家の二男に生れ、小鹿野奈倉に養子になる。徴彫刻(大英博物館所蔵)漢詩。書画にすぐれていた。 

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硫黄分を含む冷泉で吹き出物、胃腸病、冷え症などに効くとされていて、飲んだり風呂水に使われていました。

 昔は近くに小屋を建て近在の人々が風呂を沸かし入っていた事もあったと言います。

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ヌ瀬指のカツラ。

タマゴ水の上流にあり、樹高31m、周囲11m、の県内2番目のカツラの巨木です。

 樹勢はよく、根元よりたくさんの分枝が主幹を守っている様に見えます。眺めているとカツラ独特の甘い香りが漂ってきます。

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Ε泪鵐ン採掘跡。

マンガン団塊は、堆積速度が遅い深海底や海山で、海水中の鉄やマンガンが岩石や化石等を核として沈着し成長したものです。

 秩父帯(「秩父古生層」と呼ばれていた)が、はるか彼方の太平洋の海底ででき、プレートで運ばれてきた証拠でもあります。

 即道手堀井戸。

 即道が日野寺沢の原と言う屋号の家に立ち寄ったとき、家人が即道にお茶を出すのに川まで汲みに行くのを見て、井戸を一日で掘り、平板石に何か字を彫り井戸の底に投入れるとそこから水が湧いてきたと言われています。今でも井戸の中の文字を読み取る事ができます。

 寺沢の人たちは兵隊に出征する時や旅に出る時は、飲んで行く習わしが最近まで行われていました。

 ※荒川村糀屋地区に生れ、名は六兵衛、駿足にして幾多の奇行を残している。晩年即道と改め、享保15(1730)年贄川常明寺で自ら穴の中に入ったとされている。

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┿沢川の多自然型砂防。

 周辺の環境との調和・自然形態の保全育成を基本にした砂防工事であり、親水性及び安全性を重視した水辺空間を創造し、多くの人々に親しんでいただくために整備した所です。

 施行延長880mの砂防事業は、平成11年度に完成しました。

 特長としては、河床の石や岩は手をつけず、護岸は自然石を利用し、「巨石練積護岸工」を採用し、表面と天端面には土を埋め戻し、在来草の早期繁殖に努めた事です。

寺沢の如意輪観音堂。

 安産・子育て祈願の観音様として多くの人々に信仰されており、今日でも腹帯の貸し出しを行っており、無事安産の折は帯を倍にして返す習わしがあります。

 この観音様は「寝入り観音」と呼ばれています。語源には諸説があり、一つは、秩父札所を決めるとき、たまたま如意輪観音が寝込んでしまい、ついに札所番付に入ることができませんでした。もう一つは、ほおづえをついているように見えるお姿から、寝入り観音になったということです。 

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矢道反隧道。

 日野地域は、弟富士を真中にして荒川側を表日野、熊倉山側を裏日野と言い、寺沢の人達は表日野に田畑を所有するものが多く、切通し越しての耕作が大変不便であった為、昭和15年に隧道の計画をたて着工し、翌16年に完成しました。

 しかし資金が3000円余り(当時の金額)不足したため、斜めの隧道になったと言われています。

 トンネル内では、新第三紀の砂岩や礫岩が観察できます。

山里自然館。

 埼玉県が運営していた荒川ビジターセンターを秩父の環境を考える会が秩父市より管理運営業務を委託され、運営しています。

 展示内容は、秩父地域の民俗歴史自然等を中心に展示し、また啓発活動として自然館周辺の野外観察会を実施しています。

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男釜女釜。

 滝の上流は羊山と同じ高さの中位段丘で、下の下位段丘に落下する水流によって作られた滝です。

 地層は、新第三紀の砂岩や礫岩で、この地域の名にちなんだ「鷺の巣層」と呼ばれています。

 小さな断層に沿って谷ができ、それに小断層や直交する場所に淵ができたと考えられています。

荒川資料館。

 荒川地域の伝統文化を保存するために昭和52年に建設されました。

 歌舞伎笠鉾・串人形をはじめとする数多くの民俗資料を展示公開しています。

ちちぶ国造りの道・国神コース

手軽に歩けるウォーキングコースです。

ヽ野橋記念碑。

 昭和10年に架けられた延長105m幅員5.5mの橋。架橋以前の往来には「碑」の西側の「大浜の渡し」が使われた。

 碑の裏面には「早くこせこせ大浜船渡 皆野通ひがおそくなる 大田時から恋知りそめて 思ひかけ橋皆野橋」という、金子伊昔紅の唄が刻まれている。

  

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 前原の不整合は秩父盆地の形成を知るための重要な露頭です。崖の左下の黒い岩石が秩父帯の粘板岩などで、およそ1億5000万年前の地層、そしてその上に重なる白っぽい岩石が、秩父盆地を構成する約1千5百万年前の地層です。主に石英や長石にとむアルコース質で、下部は礫岩になっています。礫の種類は、秩父帯のチャートや砂岩で、この近くに分布する岩石です。礫の間を埋めているのはアルコースです。このように、不整合面の直上にある礫岩は基底礫岩と呼ばれ、侵食の場から堆積の場に転じた最初の堆積物です。

 この不整合は、いったん海底に堆積したジュラ紀の地層が、地殻変動により隆起し、陸上で風化浸食されたのちに再び沈降し、その上に新第三紀層の地層が堆積したことを物語っています。

 不整合とは、年代の大きく異なる地層が重なっていることを示す語で、それらの地層の境界線を不整合面といいます。

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 江戸時代の大淵村の名主を代々勤めた家である。慶長8年(1603)荒川と赤平川の合流点に「材木改所」が設置され、野巻村と大淵村の名主2人が改所役人に任命された。

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 長生荘前の道路脇。明治17年11月3日加藤織平は長楽寺に陣を構えていた。翌4日、日野沢方面を偵察して帰って来た飯塚森蔵の一隊を警官隊と誤認して、困民党の中に動揺が起こった。その時、1日の吉田の戦いで捕虜になっていた青木與市巡査は、チャンス到来とばかりに新井周三郎に切り付けたが、周三郎は重傷にもめげず青木巡査に大刀を突き立てたとのことである。

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 元は「琴平神社」で古くは金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)と称した。現在の社殿は明治34年に造営されたが、この社殿の彫刻は素晴らしいものである。明治40年金崎上郷(現在の国神)の各社を合祀して、社号を國神神社と改称した。

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 知知夫彦命の墳墓と言われる塚を「国神塚」と呼び、この塚の上にイチョウが植えられたという話が伝えられている。また、塚には「妙見社」も祀られている。

長言寺。

 ぽっくり観音の寺。

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 波久礼駅〜金崎駅間が明治44年9月14日開通。駅前には「梅乃屋旅館」があり、大正5年には地質巡検のため秩父を訪れた宮沢賢治が宿泊している。当時、金崎駅は大宮町、小鹿野町方面への乗合馬車の発着点であった。

 「霧はれぬ分かれて乗れる三台のガタ馬車の屋根は光り行くかな」 宮沢賢治

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紅簾石片岩。

 親鼻橋際に露出するこの紅簾石片岩とは変成鉱物の一種である紅簾石を含む珪質片岩です。紅簾石片岩の原岩はチャートなどの珪質堆積岩で、紅簾石石英片岩とも呼ばれていますが、小藤文次郎が明治21年に世界で最初に新鉱物として紅簾石を報告しました。

 この露頭でもう一つの見所のポットホール(甌穴)は、河床の岩石の割れ目や節理に石が入り込み、川の水の力によって石が回転し、穴が掘られたと考えられています。このポットホールは今現在の荒川の河床面から10m程上位にあるので、ホールが形成されてから10mほど大地が隆起したことになります。これは長瀞地域が隆起していることを示す貴重な証拠です。このように長瀞では大地の隆起と、荒川の下刻侵食のバランスが保たれているので、三波川変成岩が地表に露出することになりました。

秩父盆地・西の玄関口、赤平川流域を訪ねるコース

モデルコースマップはこちら
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※車・バイク・自転車利用がおすすめのコースです。

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‐鹿野町
秩父盆地の西に位置し、上州・信州への街道筋に栄えた町。秩父盆地の新第三系とその下の秩父系や山中層の境界部にあり、赤平川ぞいの低位段丘の上に発達した市街地と西の狭い谷筋からなる。西方の両神山は秩父帯のチャートからできており、その右に山中地溝帯(白亜紀)。歌舞伎や鉄砲祭りが伝承されバイク街づくりの町でも知られている。わらじカツ丼がおいしい。

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下小鹿野の奈倉
赤平川の段丘崖を防壁とした奈倉館跡や妙見神社があり、古くから栄えたところ。神社には女歌舞伎が伝承されている(10月第一日曜)。下流の小坂下には、海底地滑りの跡(褶曲)が見られる。対岸の「ようばけ」は、平成21年に「日本の地質百選」に選ばれた。上半部は鷺の巣層の砂岩と泥岩の互層、下半部は奈倉層の泥岩層でカニ・貝など化石を多く含む。近くにおがの化石館があり、大正時代にここを訪れた宮沢賢治の歌碑がある。
昭和37年 小鹿野町指定天然記念物。昭和52年 埼玉県自然環境保全地域。

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2湿鹿野の泉田
かつては交通の要所(小鹿塚)。水不足の土地だったが小鹿野用水(昭和34年)の完成により水田が倍増。尾田蒔丘陵(高位段丘)・武甲山(石灰岩)・秩父帯の山々の絶景ポイント。

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ぐ貌β河原
海底地すべりで湾曲した新第三紀の地層(スランピング)や段丘礫との不整合。下部は傾斜し上部を侵食された新第三紀の地層、その上に第四紀の堆積物が重なる不整合が見られる。崖の右側(上流方向)には、海底地滑りによる褶曲した地層(スランピング)が見られる。川までバイクで降りられる。木の茂らない冬のほうが観察しやすい。

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ゴ篥詑
盆地の新第三紀の地層の最下部が露出。札所三十一番観音院にはこの地の凝灰岩を使った一万八千体の磨崖仏や仁王様がある。ここの石材は岩殿沢石と呼ばれ、加工しやすく秩父の各地で地蔵様・墓・石垣などに利用されてきた。凝灰質砂岩は加工しやすく軽いので、石碑や墓石・地蔵様などに多く使われた。

この地域は、盆地の新第三紀の地層の最下部にあたり、牛首峠付近に秩父では珍しい花崗岩の礫も観察できる(基底礫岩)。盆地の南東隅にある札所4番金昌寺の石仏は、この山の石で作られた。地蔵寺付近には貝化石もある。

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三山の小金沢
赤平川右岸に白亜系と新第三系の不整合。谷は狭くなり約1km上流に小鹿野用水の取水堰がある。ここは山中地溝帯(西へ伸び長野県まで続く)の東の端で、中生代白亜紀の山中層(約1.3億年〜1億年前)と新第三紀の地層(約1700万年〜1500万年前)の境(不整合)が見られる。これより上流は岩石も硬く狭い谷となる。約1km走ると「田の頭」の集落がある。地名は田を作る最上部を示しているのかも。昭和34年3月に完成した小鹿野用水の取水堰があり、旧街道ぞいに旧三田川村役場のレトロな建物が見られる。

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納宮
秩父鉱山の鉱石を運搬した索道の中継所跡。朝鮮戦争特需の頃は、索道運搬だけでは間に合わず、ここからトラック輸送も併用して運び出された。索道は両神の須川を経て三峰口までのび、鉄道に乗せられ運び出された。

futago015.jpgのサムネール画像

二子山
秩父帯の石灰岩(古生代石炭紀?ペルム紀のフズリナ化石)の山。南側の泥岩から中生代ジュラ紀の放散虫が見つかり、堆積年代は新しくなり約2億年前のジュラ紀の付加体となった。石灰岩がプレートによって運ばれジュラ紀にここに堆積した「付加体」と言われます。

志賀坂峠は、古来より上洲を経て信州に往来する盆地への重要な出入り口だった。トンネルをくぐると峠の向こうに「漣痕化石(さざ波の跡)」や「恐竜博物館」がある。

皆本沢と峠
皆本集落で南の林道に入ると、峠を越えて薄川の流域にでる。昔は歩いて戸蓋峠を越えていました。峠道のわきには、中生代の褶曲した山中層が露出している。

両神温泉薬師の湯では、温泉とおいしいお蕎麦が楽しめる。バイク専用の駐車場が完備しているのもうれしい。

大地の恵みと暮らしを訪ねる荒川源流コース

モデルコースマップはこちら
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※車・バイク・自転車利用がおすすめのコースです。

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‖臙8
秩父帯にはレンズ状の細長い石灰岩体が存在する。国道140号のトンネルは石灰岩に穿たれたもの。石灰岩はおよそ3億年前の古生代にできたものがプレートによって運ばれ中生代にここに堆積した。「付加体」と言う。

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▲蹈暗豌
国道から左にそれると道端にログハウスがある。美しい景観を知ってもらおうと「NPO森」と「荒川源流ログハウス技師会」によって作られた。大血川沿いのこの道をたどると平将門の妃の墓や東の女人高野と言われる太陽寺にいたる。

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手掘りのトンネル
国道から右にそれ北側の道を登ると大達原の集落にでる。集落の東には手堀りのトンネルがある。三峰山参拝の街道として大正末まで使われていた。

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た青軻況
国道の対岸に見える石灰岩の洞窟で、縄文土器・古墳時代の壷・奈良平安の須恵器・獣骨・人骨が出土している。定住したところではなく、狩の前進基地として使われていた場所と考えられる。

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ッ翊填
秩父帯の硬い岩石のため侵食に強く、深いV字谷を形成している。険しい地形のため人の手もはいらず、楓などの原始の森が保存され、紅葉の名所として賑わう。

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出会い
中津川と支流の神流川が合流するところで、石灰岩に掘られたトンネル。現在は補強されている。右に折れて神流川沿いに遡ると秩父鉱山にいたる。

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支流の神流川では、鉱山から流れだしてきた結晶質石灰岩(大理石)や鉱物を見ることができる。

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秩父鉱山
マグマの寛入による熱によって形成された接触交代鉱床で、様々な鉱物ができた。鉱山は長い間、秩父の人々の暮らしを潤し、今でも宿舎や銭湯などかつて2000人もの人でにぎわった鉱山町を語る施設が残っている。斜面には浮遊選考を行った工場跡や鉱石を運び出した索道の櫓が残っている。鉱石は北側の八丁峠を越え運び出された。

現在は炭酸カルシウムを採取するため結晶質石灰岩が採掘されている。

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中津川
「彩の国ふれあいの森・森林科学館」・遊歩道・秩父市営宿泊施設「こまどり荘」もあり、森林や林業についての体験学習ができる。

上流の王冠では、中新統の礫岩層とマグマの遺産である石英に富んだトーナル岩が見られる。石英が少ないと石英閃緑岩に分類される。

秩父の段丘地形と暮らしを探るコース

モデルコースマップはこちら

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  和銅大橋付近。

 左から横瀬川、右から荒川が合流。段丘崖に囲まれた段丘上に中世の「諏訪城」跡がある。橋を渡ったところには、招木古墳群が存在する。

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  内田家住宅(国指定重要文化財 江戸中期の永代名主の家)。

 下蒔田の蒔田川は深く、畑ばかりである。目の前に、上流へ向かって流れる「逆さ川」がある。中位段丘の時代には、荒川の支流が流れこんで、深く侵食していたと考えられる。

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  中蒔田。

 田が多く米どころ。南向きの斜面には長屋門を備えた大きな農家が並んでいる。屋号「田の頭」と呼ばれるお宅はこの地域の古くからの豪農で、当主は甲斐源氏・武田家の剣法である甲源一刀流を子供たちに伝えている。長屋門はその道場。

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  お田植祭り。

 春3月3日米の豊作を祈る御田植え祭りが行われる。近くの沢から水を運ぶ神事が行われ、境内では馬や竹で作った鍬を使い白装束の氏子により田を耕し苗を植える所作が演じられる。春まだ浅く、時には雪が舞う中で行われる。

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  蒔田川。

 この河川は、荒川や赤平川の浸食にともない、上流が切断され侵食が進んでいない。浅いところを水が流れているので水が利用しやすく、谷沿いは田が多くある。蒔田の谷は米どころ。

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  円福寺。

 蒔田の谷の上流部には、1373年創建の円福寺の壮大な伽藍が存在する。米どころ蒔田の檀家が支えていたと考えられる。

 寺は南向きに建てられ、参道が小鹿野・秩父間の旧道に向かって伸びている。この道を上ると尾田蒔丘陵に上り、小鹿坂峠を越えて大宮郷(秩父市街地)にいたる。

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  尾田蒔丘陵。

 高位段丘である尾田蒔丘陵はおよそ50万年前の多摩期のものと考えられている。段丘礫層とローム層が観察できる。

 小鹿坂峠の南面に札所二十三番音楽寺がある。秩父市街地の低位段丘地形、前方に中位段丘の羊山丘陵が望める。明治17年に起きた秩父事件のとき、困民軍はこの寺の鐘を打ち鳴らして町に攻め込んだと伝えられる。

秩父盆地の生い立ちを語るコース

浦山ダム付近

  浦山ダム付近(秩父帯の岩石・地形など、ダムのエレベーター、うららぴあ)

 彩甲斐街道(国道140号)を南に向かい、影森を過ぎて下り坂のカーブを左折します。盆地内の平坦な地形が一変し、急峻な地形の秩父帯に入ります。V字谷の出口に作られた堤の上は、盆地を南方から眺める絶景ポイントです。ダムサイト右岸の「うららぴあ(資料館)」や堤体内のギャラリーでは荒川と水と人のかかわりを体験できる様々な展示が楽しめます。ダム下には、赤色チャートに似ていますが、チャートより軟らかい赤色泥岩が見られます。黄砂のような土ぼこりが海底で積もったものです。

橋立鍾乳洞

橋立鍾乳洞(武甲山をつくる石灰岩体と石灰洞)

 武甲山をつくる石灰岩体の西の端に位置します。札所28番橋立観音堂があり、岩陰からは縄文時代の遺跡も見つかり古くから人が住み、信仰の地でした。鍾乳洞は割れ目に沿ってできたもので、入り口から約150m・高さ30mほど登って出口に至る竪穴の洞窟です。石灰岩は、古生代ペルム紀のころ大洋の彼方ででき、海洋プレートによって運ばれ、中生代ジュラ紀にこの地に押し付けられたと考えられるもので「付加体」と呼ばれます。

巴川

巴川(河岸段丘と穿入蛇行、河川地形)

 国道140号に戻り下影森(県土整備事務所前)の交差点を左折するとまもなく巴川橋を渡り、S字状に大きく蛇行している荒川が見えます。流路の外側(攻撃斜面)は侵食され内側(滑走斜面)には砂礫が積もり住宅も建てられています。自由曲流だった河川が浸食を復活し、曲流を保ったまま下刻が進んだものです。「穿入蛇行」とか「下刻曲流」などと呼んでいます。

前原の不整合

前原の不整合(秩父盆地新第三系の基底)

秩父盆地の北の隅、皆野町前原の荒川と赤平川が合流する左岸に、盆地の基盤である秩父帯と新第三系の不整合があります。基盤は破砕された粘板岩でジュラ紀のものです。上に重なるのはチャートや粘板岩の礫(基底礫岩)で上へいくにつれ砂岩へ移り変わっています。侵食され続けていた秩父帯の地層が新第三紀になって海におおわれ新しい地層が堆積したことを示しています。

取方

取方(秩父盆地新第三系小鹿野町層群と段丘堆積物)

 赤平川が曲流し川の右岸を絶えず侵食しており護岸工事もなされていないので、新第三系の砂岩・シルト岩の互層(タービダイト)・新第三系と第四系の斜交不整合・海底地すべりによる褶曲(スランピング構造)などが観察できます。海底地すべりを示す堆積物は小鹿野町層の広範囲にわたって見られ、この時期には後背地の隆起と堆積盆の急速な沈降が起こったと考えられます。

ようばけ

ようばけ(秩父盆地新第三系秩父町層群)

 「ようばけ」という名は”太陽の当たる崖”という意味合いだと言われています。新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖です。下半部は「奈倉層」上半部は「鷺の巣層」です。「奈倉層」からはチチブクジラなど脊椎動物化石やカニ化石が発見されています。秩父盆地の上部を占める秩父町層は、ハーフグラーベン(半地溝)を埋めたおよそ3000mを超える厚さの地層です。「おがの化石館」は、小鹿野町般若の奈倉層で見つかったパレオパラドキシアの骨格(レプリカ)や化石愛好者・地元の人が採集した化石を展示しています。宮沢賢治の歌碑があります。

ミューズパーク展望台

ミューズパーク展望台(高位段丘と地形の展望)

 高位段丘(多摩期)の尾田蒔丘陵は盆地の中を南北に連なり「長尾根」と呼ばれてきました。尾根を越える小鹿坂峠は、小鹿野町と秩父市街地を最短距離で結んでいました。段丘上は水が無く長いあいだ薪や炭をつくるための雑木林でした。平成3年7月に「ミューズパーク」として開業され、健康志向に支えられてウオーキングやテニスを楽しむ人たちでにぎわっています。段丘上ではローム層と段丘礫層が観察できます。「旅立ちの丘」や展望台に立つと武甲山をはじめ秩父盆地を取り巻く山々、眼下に中位段丘の羊山丘陵や低位段丘上に広がる秩父市街地を眺めることができます。

秩父公園橋

秩父公園橋(河岸段丘地形)
 ミューズパークを下ると秩父駅へまっすぐ続く公園橋にでます。道路の起伏は、段丘面と段丘崖の坂を示しています。また段丘崖は宅地などに利用されていないので木が残っています。荒川に沿って南北方向に数列の樹木が連なり、段丘崖の存在を見て取ることができます。