長瀞第二小学校裏の山ぎわに「水」の文字が刻まれた岩(三波川結晶片岩)があります。江戸時代の寛保2年(1742年)の洪水位の記録です。旧暦7月27日から4日間豪雨が続き、8月1日の水位が18mも上昇してここまで達し、付近が水没したことを地元の四方田弥兵衛・滝上市右衛門が刻んだものです。(県指定史跡)
ここは秩父盆地に降った雨が集まる、盆地唯一の水の出口です。野上下郷石塔婆の南の荒川にかかる橋の上に立ってみると、盆地内に広がる川幅に比べ極端に狭まっているのが分かります。現在は秩父地域に4つのダムができ、大雨が降っても水位の調整が行われ、文字通り「荒ぶる川」の昔のような水害はなくなりましたが、今でも梅雨どきや台風の過ぎ去った後、橋のすぐ下まで水が上がることがあります。