皆野中学校の門の前を荒川にむかって下ると川べりに出ます。この辺一帯には蛇紋岩が露出しています。秩父地域では長瀞の岩畳に代表される三波川変成帯の中に小規模な蛇紋岩体が分布しています。
蛇紋岩は濃い緑色で光沢があり、岩肌が蛇の皮膚のように見えることから名づけられました。地球深くにあるマントルを構成するカンラン岩が水と反応してできる岩石です。白い脈の入ったものを蛇灰岩(じゃかいがん)といい、蛇紋岩は磨くと美しい石材となり、「緑色の大理石」とも言われます。秩父産の蛇紋岩は、その品質の高さが認められ、埼玉県では唯一国会議事堂の中央玄関の床などにも使われています(産地は皆野町三沢、秩父市黒谷など)。
蛇紋岩は風化しやすく地滑りの原因にもなります。建築技術の発達した現在でも、高速道路や鉄道などの大型建築物の建設は蛇紋岩地帯を避けています。現在でもこの地域は土砂崩れの頻発地帯のため、向かいの山には各所で治山工事が施されています。
この岩には石綿(アスベスト)も含まれています。石綿の大部分は、蛇紋岩に含まれる繊維状のクリソタイルという鉱物からなります。江戸時代には、平賀源内が埼玉県産の石綿で火にくべても燃えない布「火浣布(かかんぷ)」をつくりました。現在は、肺がんなどを引き起こすことから石綿の生産や使用は禁止されています。
秩父鉄道(当時は前身である上武鉄道)は、明治44年(1911年)の時点ではまだ現在の秩父まで延伸しておらず、皆野町金崎にある金崎神社あたりに設置された金崎駅(当時は「秩父駅」の名だった)まで開通していました。金崎からの延長工事は当初、荒川左岸から向かうコースが計画されていました。しかし、蛇紋岩がある金崎から先は地盤が軟弱であり、線路の敷設・維持が難しいことから荒川右岸へ渡るコースに変更され、金崎駅は後に廃止となりました。現在の長瀞駅の先からコースが変更され、荒川橋梁を渡り、大正3年(1914年)に現在の秩父駅まで延伸しました。