赤平川と吉田川の合流する秩父市下吉田の取方には、曲流する赤平川に取り囲まれるように、グラウンドや結婚式場、日帰り温泉施設などがあり多くの人でにぎわっています。
右岸に幅約800mにも及ぶ巨大な露頭があります。地層をよく見ると、上流と下流の地層は水平に重なっているのに、そこに挟まれた地層がグニャリと曲がっているのが観察できます。これを褶曲(しゅうきょく)といいます。これは、この地が約1500万年前、古秩父湾の海底であった時代、西側の山地が隆起して東側が沈んでいくとき、まだ固まっていない海底の堆積物が地震などによって斜面を滑り落ちてできた「海底地滑り」によるもので、これによってできた褶曲を「スランプ褶曲」と言います。
取方の大露頭で見られるくっきりとした縞模様は「タービダイト」といって、地震などによって陸から砂や泥が海底に流れてきたとき、まず砂が先に沈み、その後ゆっくりと泥が積もった層が繰り返し繰り返し重なっていったものです。
案内看板があるあたりの露頭の上部には不整合が見られます。この不整合は下側の地層が斜めになっているため「傾斜不整合」といい、古秩父湾の時代に下の地層ができてから、地殻変動により傾いて隆起し、上部を侵食された後に再び沈降して、その上の地層(第四紀:約260万年前~現在)が積もったことが分かります。
取方の大露頭はダイナミックな地層を間近で観察できるため、ジオツアーや学校の校外学習などでも人気の高い、ジオパーク秩父を代表するジオサイトの一つです。
取方の大露頭は、「トサン淵」という古い名前があります。
室町時代末期の戦国の世であった永禄3年(1560年)、北条勢の侵入を武田勢へ報告しようとした土佐の坊(とさのぼう)という僧がいました。ホウキ草をムチの代わりに馬を走らせましたが、すでに敵に囲まれ逃げ切れず、崖から赤平川の淵へ身を投げたそうです。「土佐の坊の淵」が転じて「トサン淵」と呼ばれるようになったと言われています。
土佐の坊が持っていたホウキ草の種が芽を出しトサン淵に自生したと言われ、「まかずのほうき」と呼ばれています。このホウキ草を持ち帰ると土佐の坊の霊が災いをもたらすと恐れられ、手をつける者はいないと言われています。